事件の経緯(伝承):
慶長14年(1609)(Note)10月8日(旧暦)、徴税吏(年貢取り立て役人)に化けた者(旧領主佐竹氏方とも?)が小生瀬村へ年貢を取り立てに来たので年貢を納めたその後に行った本物の役人を偽物と誤認して怒った村民が一人を殺し偽徴税吏として死体を水戸藩政府に送りつけたことから、2日後の10月10日、この事件が発生した。
水戸藩士により老若男女、子供までほとんどの村民三百数十人が殺害され、山に逃げ込み辛うじて他藩領へ逃れることができた2~3人により事件の情報が子孫へ伝承される。
現在も、地名に悲劇の痕跡が残ると言う。追い詰められた村民が殺された一帯が「地獄沢」、その入口付近で村民が命乞いをした「嘆願沢」、役人が、斬った村民の血を拭いた「刃拭き沢」など。
しかしながら、水戸藩政府に死体を送り付けたりすれば、例え偽徴税吏であったとしても藩が反応することは予想できるはずです。距離のある水戸から武装した藩士が進軍して来ていれば、村民の誰かが気付かないはずがありません。それにもかかわらず地理に精通する村民のほぼ全員が殺され、数人しか逃げ出せなかったことは不可解です。
「生瀬一揆」と称されるということは、何かの理由で村民が団結して水戸藩に反抗し、果たせずに諦めたのでしょうか。
この一帯の住民は長期間、代々にわたって佐竹氏の恩顧を蒙った人ばかりであることを考えれば、新参者の水戸藩が佐竹氏を秋田へ追い遣ったと考えるのが普通かもしれません。水戸藩への敵対心を背景とする事件なのでしょうか。
私には解明不可能ですが、何れにしても悲しい事件が発生したことは確かなようです。
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