一之宮貫前神社(いちのみや ぬきさきじんじゃ)。群馬県富岡市一ノ宮にある神社で、別名抜鉾神社とも呼ばれる。創建は安閑天皇元年(534年?)3月15日とされ、1500年近い歴史を持つ由緒ある神社。ご祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)と姫大神(ひめおおかみ)。
この神社は珍しい「下り宮」で、神社入口の惣門(そうもん)をくぐると、急こう配の石段を下って本殿に向かうことになる(本殿が谷底のような場所にある)。日本三大下り宮の1つに数えられているらしい(残りの2社は宮崎県日南市の「鵜戸神宮」と、熊本県阿蘇郡高森町の「草部吉見神社」)。
この神社はパワースポットとして知られるが、古代から伝えられている特殊神事が数多くあることでも有名。その中でも最も有名で、かつ恐れられている神事が「御鎮(おしずめ)神事」だと言われる。
この神事は、深夜に神社の背後にある「御鎮(おしずめ)さんの塚」という塚に神職が行き、塚にお供え物を納めるという儀式なのだが、儀式の最中は言葉を一言も話すことは許されず、咳(せき)払いさえしてはいけないのだという。このため「無言神事」とも呼ばれる。もし、この掟を破って一言でも言葉を話したら、たちまち神罰を被(こうむ)って死ぬと明言されている。
この神事で不思議なことはもう1つ、神社のトップである宮司(ぐうじ)は参加せず、主に下級の神職によって執り行われるという点だ。
昔、この迷信めいた話をあまり信じない宮司がいたらしく、この御鎮神事に参加したのだという。この宮司、日頃から火事を起こさないよう、火の元の点検に気を使っていたらしい。普通に考えれば結構なことなのだが、この習慣が命とりになった。宮司は神事に向かうため神社を出たが、火の元が気になり引き返して、神社の職員にうっかり「火は大丈夫か?」と聞いてしまったのだ。タブーを破ったこの宮司は翌日死んだ。
またある年、神事の最中に神社の儀式に使われる神馬(しんめ)が「ヒヒーン!」といなないた。この馬は鳴いたと同時に倒れ、ほぼ即死だったらしい。その他、神事の最中に石か何かにつまずいて、「あっ!」と言っただけで亡くなった神職もいるという。
また神事を行う神職以外の第三者が神事を見ることもタブーとされ、神社の支援者である氏子(うじこ)といえども見学することは出来ない。神事のある夜、沿道の家々は明かりを消し、早々に床につき神職の姿を見ないようにするのだという。
こうなると、この恐ろしい神罰を下す御鎮さんとは何者なのかという疑問がわく。この神社の祭神である経津主神(フツヌシ)とは、『日本書記』によると武甕槌神(タケミカヅチ)とともに、この地上を平定するために高天原から派遣された神なのだという。この神は現在千葉県香取市にある香取神宮の祭神としても有名。
以上のことから作家の佐治芳彦氏は、古代に経津主神に代表される銅鉾を持った軍団が鹿島灘から上陸し、この辺りまで侵攻したのではと推理している。そして、御鎮さんとは経津主神が来る前、元々この地域で祀られていた神で、この神社の本当の祭神なのではないかという(※1)。
侵略され滅ぼされた側の神だとすると、今なお強烈な祟りを引き起こすのは納得のいく話と言える。
※1 『日本神道の謎』 佐治芳彦 日本文芸社 1990
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