酒田市の北千日堂前、酒田光陵高校の裏にある上水道調整池附近の松林は俗に「コレラ山」と呼ばれている。
明治12年(1879)から明治28年(1895)にかけてコレラは酒田市内で断続的に流行したと伝えられている。当時はコレラに対する有効な薬もなく、コレラに罹患(りかん)した場合の死亡率は、何と60%から70%にも上り、非常に恐れられていた伝染病だ。
この場所はその時コレラで亡くなった人達の埋葬地だったため、地元では通称コレラ山と呼ばれているそうだ。当時、この山の入口には大きな藁人形(※1)が立てられ、死体は戸板や台車でこの場所に運ばれ、土葬、あるいは火葬されたと伝えられる。中にはまだ息があるにもかかわらず、これ以上の流行を防ぐため、生き埋めにされた人もいたという噂だ。
現在ここには明治13年(1880)に建てられた「コレラ山地蔵尊」と昭和51年(1976)に建てられた「コレラ無縁供養碑」がある。またどういう因縁か、最近では林の中での首吊り自殺も多発しているという。
夜中にこの場所を通ったところ、松林に中にたくさんの人影がユラユラうごめいているのを見た人がいるそうだ。またいまだに生き埋めにされた人達が成仏出来ていないためか、地面の下から不気味なうめき声が聞こえたという話もある。
※1 藁人形を立てる理由は、日本各地で見られる「虫送り」や「虫追い」と似た風習と思われる。古来、虫の害や伝染病は怨霊の祟りによるものと考えられ、虫送りは「害のあるものを外に追い出す」呪術の一つで、神社で行われる紙の形代に穢れを移す風習との共通性が見られるという。
虫送りと同じ発想で、疫病が広がると集落の境に大きな藁人形を立て、これに悪霊を乗り移らせ、疫病が集落に入って来るのを防ごうとしたらしい。
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