島原の乱の際、周辺の海岸にキリシタン軍の首領であった「天草四郎時貞」が上陸したと伝えられ、このことから四郎ヶ浜ビーチと名付けられる。
この場所は島原の乱と言うよりも、江戸時代の寛政4年(1792)に起きた雲仙普賢岳の噴火と、それに伴う津波で亡くなった犠牲者の霊が出ると言われる。
この災害は「島原大変肥後迷惑」と呼ばれ、まず雲仙普賢岳で噴火が起こり、この影響で天草寄りに隣接していた眉山(まゆやま)が有明海に崩れ落ちたことにより発生した複合的災害。眉山の山体が崩れ落ちたため、沿岸には10メートルを超える大津波が押し寄せ、熊本県側で5000人、長崎県側では噴火の犠牲者もあわせておよそ10,000人が亡くなったと伝えられている。
現在この海岸は県内でも有数のビーチで、夏には海水浴客や家族連れも多いが、近くを道路工事した際、災害犠牲者のものと思われる数多くの白骨が出た事があるそうだ。もし砂浜から出た犠牲者の遺骨を粗末に扱うと、その日の夜に犠牲者の霊が現れ、つきまとわれるとも言われる。
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