玉川上水は江戸時代の承応3年(1654)に供用が開始された上水道。近年まで淀橋浄水場に水を供給していたらしい。
今でこそチョロチョロとした小川のような流れだが、昔の水量はもっと多く、流れも急であったため、落ちたらまず助からなかったそうだ。そのため事故や入水自殺も多く、人喰い川とも呼ばれていた。玉川上水での自殺と言えば、かの有名な文豪、太宰治が愛人山崎富栄と心中した事件が有名だが、玉川上水にはもう一つ有名な事件がある。それは三姉妹心中事件である。
昭和34年(1959)の9月11日、長女(14)、次女(11)、四女(7)の姉妹が、母親の不倫に抗議するために玉川上水に身を投げた。そして長女の遺体が発見された場所が、このどんどん橋の下だったという。
実はこの姉妹は元々4人姉妹で、結核で失職した父親と、その父と再婚した後妻(姉妹にとってはいわゆる継母)の家族だったが、母親は仕事先で男を作り、家庭をかえりみなくなってしまった。その母に対する抗議の自殺だったようだ。心中した姉妹の中で三女(9)が欠けているが、これは事件当日、三女だけが「玉川上水付近で姉たちとはぐれた」と言い家に帰宅したため。
しかし実際は“はぐれた”のではなく、長女が自分たちの自殺の意図を母親に伝えるため、伝令役に三女を残したのではないかというのが、大方の見方のようだ。
長女の遺体が発見されたどんどん橋付近では、実際に少女の霊の目撃談が聞かれたという。小池壮彦氏の『日本の幽霊事件』によれば、しかめっ面をして一点を見つめている少女が川辺にいて、振り返って見たら少女の姿はすでに消えていたという話が記載されている。果たして心中した姉妹の内の一人なのだろうか?
玉川上水周辺にはこの他にも「オーブが大量に写る」、「土手から手首だけが這い上がってくる」、「三輪車の子供に追いかけられる」などの怪談が存在する。
どんな幽霊が出ましたか?
少年2
男性3
老爺1
動物2
少女14
女性19
老婆2
正体不明2
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