平将門の首塚
平貞盛・藤原秀郷との戦に敗れ憤死した平将門は首を切断され京都の三条河原に晒されました。その首は何ヵ月たっても腐敗することはなく、目を見開き、「斬られた私の身体はどこにある。ここに持ってこい。首を繋いでもう一戦せよ」と叫び続けていたそうです。
やがて将門の首は空高く飛び去り、やがて力尽き地上に落下しました。その場所がこの将門の首塚です。
首塚を埋め立てようとした者や取り壊そうとした者が不振の死を遂げています。現在までに十数人が犠牲者となっています。
オフィス街にポツンと取り残された首塚。近くのビルでは「首塚に背中を向けてはいけない」「首塚を見下ろしてはいけない」など将門を怒らせないように注意しているそうです。
太宰府天満宮
菅原道真は学問の神様として太宰府天満宮で祀られています。神様がなぜ日本三大怨霊に選ばれているのか不思議ですよね。
幼いころから賢かった菅原道真は若いうちから出世を繰り返し、人々のために学問には励んでいた。ところが無実の罪を着せられ左遷されてしまいました。
迫害された生活を過ごし家族と再会することもなくこの世を去ってしまいました。
菅原道真の死後、左遷に関わった者が次々と亡くなっていきました。死因の多くが落雷によるものでした。そのため菅原道真は雷の力を使って祟りを起こしていると人々から恐れられています。
安井金比羅宮
第75代天皇である崇徳天皇は鳥羽天皇の第一皇子として誕生しましたが、一説によると白河法皇と鳥羽天皇のお嫁さんが密通してできた子供だったといわれています。
※密通とは、夫婦でない男女の肉体関係
白河法皇とは第72代天皇、つまり鳥羽天皇の祖父にあたる人物です。鳥羽天皇がその子供に愛情を注げなかったのは当然。生まれながらに呪われた子供だったのです。
崇徳は不遇の人生を過ごし、1156年には保元の乱を起こすもあっさりと敗退。讃岐へ流罪となりそこで余生を終えました。
崇徳は生前から「私は妖怪に生まれ変わりこの恨みを晴らしてやる」と言っていたそうです。崇徳の死後、その言葉は事実となりります。
崇徳が恨んでいた人間が次々の不審の死を遂げ、さらに国の至るところで大火事や疫病、飢饉に見舞われました。これは崇徳の祟りだと人々から恐れられました。現代までに崇徳天皇ほどの祟りを起こした者はおらず日本最恐の怨霊とされています。